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発会式:2023年3月20日アンマの講演全文

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アンマはマハーラシュトラ州ナグプールで開催されたこのイベントを、市民社会と非政府組織のためのG20委任グループであるC20の議長に任命されたはじめての霊性指導者として主導しました。今年の主催国はインドで、G20サミットは今年9月にニューデリーで開催されます。 アンマは講演の中で、人類は単一の国、単一の人種、単一の宗教として隔絶してしまうとき、どのように人類が存続できないのかについて発言しました。この地球は私たち皆のものです。  純粋な愛と至高の自己の体現である皆様にアンマはひれ伏します。  アンマはC-20の最高会議である今回のサミットへの参加を嬉しく思います。そして運営委員会の著名な方々、CSO、NGOの発表者にお会いできました。各位が今回の企画に貴重な貢献をなさっています。  人類は現在、多数の尋常ならざる試練に直面しています。私たちが認識または理解できない、より微妙なレベルの多くの課題もあります。現段階で、人間には次の2つの資質が必要です。問題を認識する知恵と、問題を正すための心構えと知性です。    残念ながら私たちは試験前日から勉強を始める学生のようなものです。私たちは災害の危機に瀕しているときにのみ正しく考えます。その時になってやっと、私たちは何かをする必要があることに気づきます。    新型コロナウイルスによるパンデミックは、3年間続く困難な期間でした。この危機を経験しながら、人はこれからはより良いやり方をしようと決意したことでしょう。多くの人が物の見方を変えることを誓ったでしょう。しかし、そのような決意は長くは続きません。人々はいや応なく古い習慣に舞い戻ってしまいます。    未来は分断された「個」者のものではなく、他と「交」わって協力しあう「交」者のものです。自分だけで上昇しようとする国や社会は必ず倒れるでしょう。これは自然から人類への警告です。したがって私たちのマントラは「個(シングル)」ではなく「交(ミングル)」としましょう。    人間には自分の好きなように生きる自由が、ある程度あります。しかし自然の法則を、まるでテレビのチャンネルを変えるように、自由に変えることはできません。神と自然のやり方は、一切を内包することです。排除することは人間だけのやり方です。    この世界に住むすべての人は、内包するという普遍法則に従わねばなりません。強制的に排除という法則を押し付けようとすれば、不協和音と危険をもたらすだけです。私たちが今日経験していることは、多くの人々が宇宙のしくみに干渉した結果です。外界の状況を変えようとするとともに、私たちは自分の心のあり方も変える用意がなければなりません。    アンマは子供時代の出来事を覚えています。親は子供たちに、行儀よくすること、真実を話すこと、すべての人に愛情を持ち、人を助けること、よく勉強することを勧めていました。しかし現代は、自分の子供に、頭を使って、抜け目なく、勝ち組になりなさい。自分より下の人と交流してはなりません、と教える親がいます。    私の生みの母は、65年前、自分自身が模範を示すことによって教えてくれました。私が生まれた村には千軒ほどの家がありました。彼らのほとんどは、大人数が一緒に住んでいる共同家族でした。裕福な家庭は約100世帯のみでした。他の家は漁業で日々の生活費を稼いでいましたが、食事が取れるのは稼ぎがあった日だけで、そうでない日は空腹のままでした。彼らには銀行口座もありませんでした。    もし、私たちの家で他の家よりも早く食事の準備できたら、私の母はまず隣の家のことを考えてこう言いました。「お隣は出漁してまだ戻ってきていないから、子供たちがお腹をすかせてしまうわ」    母は子供たち2〜3人分の食べ物を詰めて、私にそれを持っていくようによく言ったものです。同時に母は自分の子供たちの心配をしていました。「ちょっと待ってね」と母は私たちに言いました。「すぐにあなたたちにも食事をあげるから」    予期せぬ客人が来ると、母はまず彼らに食事を提供したものです。それから私たちには削ったココナッツを混ぜた重湯を与えました。客人が食事して帰った後も、母は彼らがお腹いっぱいで満足して帰ったか心配していたものです。これが、昔、私たちの母親たちが見せてくれた模範でした。    今日の世界では、親切や人助けは弱さのしるしと見なされ、人をだましたり、うそをつくことは強さと見なされるかもしれません。例えば、ドリタラーシュトラとガンダーリ(マハーバーラタの国王と王妃)はこの非合理的な考え方で、邪悪な息子、ドゥルヨーダナを育てました。それは今日の社会が向かっている方向と同じです。良い価値観は、幼い頃から家庭でも学校でも子供たちにひとしく教えられるべきです。セメントの上を歩くと足跡は永遠に残ります。    同じように、幼いときに与えられた価値観は生涯を通じて残り、自分にも他の人にも利益をもたらします。私が4年生だったとき、60年前のことですが、ひとつのクラスに児童が60人位いました。約15〜20%の児童が学校にお弁当を持ってきました。    残りの児童たちはいつも、昼休みに水を飲み、空腹で木の下に静かに座っていました。彼らは朝食も抜いていたでしょう。    私には2軒離れたところに住む友人がいました。彼女は大きなお弁当を持ってきましたが、ほんの少ししか食べず、残りは捨てていました。私は彼女に言いました。「自分の必要以上の食べ物を持ってきているのね。私たち二人で、お腹をすかせているクラスメートにお弁当を少し分けてあげない?」    友人は同意しました。2、3日後には、別の2、3人の子供たちが私たちに加わって食べ物をシェアし始めました。およそ15日以内には、すべてのお腹を空かせた子供たちが招待され、他の子供と一緒に分け合って食べました。しまいには、そのクラスで昼食抜きになる児童は誰もいませんでした。このようにして私たちが気を配れば、必ず変化をもたらすことができるのです。    この世界では、人々は2種類の貧困を体験しています。1つ目は衣食住の貧困です。2つ目は愛と思いやりの貧困です。もしも私たちに愛と思いやりがあれば、1つ目の人々の苦しみも取り除くことができるでしょう。これらの資質こそが私たちが培うべきものです。    科学技術の大きな飛躍は、インターネットの誤用や生徒達の薬物乱用の増加を伴って、そのすべてが私たちが今日直面している困難の原因になっています。    たとえばテクノロジーについて考えてみましょう。それは本当に人間の生活に革命をもたらしました。しかしその悪い面は、人類の将来に不安の警報を鳴らしています。今、私たちは新しい世代が良心と道徳的価値観の無いまま成長していることを見ています。そしてその結果はどうでしょうか? さまざまな名前と形の暴力が起こりつつあります。    私たちはいつも恐れています。道を歩いていても、店で買い物をしていても、オフィスで仕事をしていても、自分の家で子供を育てていても、入浴していても。私たちは公衆トイレを使うことや歌を口ずさむことさえ恐れています。    それでも私たちは「モダンで文明化した」ことを誇りに思っています。昔は自分の敵と味方を見分けるのは簡単でした。しかし今日では正反対です! 味方がいつあなたに敵対するか誰にもわかりません。あるいは、いつ、どこで、どのような形で、敵があなたを攻撃する可能性があるかわかりません。    これに関してある話を思い出します。ある小さな町に悪名高いごろつきが住んでいました。日没直前、彼はいつも大きな十字路に現れました。彼はすべての通行人を苦しめました。女性に悪さを働き、男性を殴り、持ち物を奪いました。彼の乱暴を恐れて、人々は日が暮れるとその辺りを避け始めました。人々は代わりに脇道やほかの通りを使い始めました。ある日突然、チンピラが病気で亡くなったというニュースが広まりました。普段は、日が暮れると家を出ないのは女性でした。しかし今や、男性もひとりも通りに姿を現さなくなりました! 数日後、ジャーナリストが到着し、何が起こっているのかを尋ねました。    「ここにはかつてごろつきがいました」と地元の人々は説明しました。「彼が生きていたとき、私たちは彼が毎晩どこにいるのか、十字路のどの角にいるのかを知っていました。その辺りを避ければいいだけで、そうすれば危険はなかったんです。しかし今、私たちを苦しめているのは彼の幽霊なんです。幽霊には特定の形がありません。彼がいつ、どのように、どこで、どんな形で私たちを攻撃するかは誰にもわかりません。しかも今彼は目に見えない体になったので、前よりも強いことでしょう!」    同様に、私たちの新しい発見や高度な知識には通常、マイナス面がともないます。かつて誰の目にも明らかだった問題は、今では粗雑なものから目に見えない精妙なものへと変化しています。そしてその結果、より強くなります。    テクノロジーはとても重要です。利便性が増し、生活が快適になりました。しかし同時に、テクノロジーの乱用も増加しました。その危険性も大きくなりました。これが、新しい発明または発見の悪影響について、多方面での調査が不可欠である理由です。    「新」が「旧」を踏みにじることは決して許してはなりません。この点については、「治療するよりも予防するほうがよい」ということわざが適切です。新しい発見は、独特の新しい危険を意味することもあります。そんな新発見が社会にとって永続的な頭痛の種になる前に、潜在的な悪影響と出現する可能性のある脅威について解決方法を見いだす必要があります。世界は、苦い経験も甘い経験も、数え切れないほどの経験を私たちにもたらすことでしょう。私たちはそのどちらも内省の機会と考えるべきです。    世界に住む人々は美しい花輪のようです。それは様々な形や色の花々でできています。花の多様性と様々な種類が、花輪の美しさと香りを高めます。このように多様性が健全に交じり合う  ことは、人類の文化が繁栄するために不可欠です。単一の国、単一の人種、単一の宗教が、隔絶して存続することはできません。この地球は私たち皆のものです。    もちろん、私たちの政府は、ナレンドラ・モディ首相の有能なリーダーシップの下で、大きな進歩を遂げ、大きな変革をもたらしています。    アンマは、意識を向上するための私たちのさまざまなプロジェクトから、いくつかの例を挙げたいと思います。約 10 年前、アシュラムはインドの多くの村を引き受けました。彼らの多くは完全に小麦栽培に従事していました。彼らの食事は、自分たちが栽培した小麦しかありませんでした。そのために、彼らの免疫に欠陥があるっことが見つかりさまざまな病気が引き起されました。彼らは小麦の一部を野菜と交換すればよかったのですが、そうはしませんでした。    他にはこんな村がいくつもありました。彼らは自然環境変化と気候変動に気づいていませんでした。彼らは古い決まったやり方を変えずに栽培を続けました。雨の降り方が変化したため、不作に陥り、飢えに苦しまなければなりませんでした。彼らのほとんどは、よそで仕事をするために村を離れることを望んでいません。そのため村を出て生計を立てようとはせず、家で空腹のままでいるのです。    また別の村では、予期しなかったような降雨パターンと収入の減少により、マリファナ栽培に切り替えました。当初、彼らはそれを明かすことを渋っていましたが、後に、より多くのお金を稼ぐことができるから(3か月で50万ルピー(約80万円))栽培を始めたと説明しました。彼らがどのように誤った選択をし、その結果、非常に多くの人生が破滅されるかがわかります。    政府は、雨水貯水プロジェクトのための特別対策スキームをいくつか実施しました。しかし残念なことに、これらの村人は、そのスキームの利用の仕方や申請方法を知らず、学ぶ機会を逃しました。私たちは、引き受けた村の1つで、雨水貯水システムを導入しました。その結果、作物の生産量と収入が増加し、彼らは違法行為から離れました。    一部の村では、飲料水が不足しているため、汚染された水を飲んでいることがわかりました。彼らはコレラのような病気にかかっていました。この解決策として、大学は研究を行い、「ジーヴァアムリタム」(生命の甘露)という名前のフィルターを開発しました。    これは、最初テスト用にアムリタプリ・アシュラムの近くに設置されました。すると、チクングニア熱のような伝染病の発生率が低下することがわかりました。この後、アンマは引き受けた村々にこれらのフィルターを配備しました。それにより、これらの地域の水媒介性疾患が大幅に減少しました。    他の村では、女性が毎朝長い距離を歩かなければならないことがわかりました。家庭用の水をくみに行くためです。彼女たちはすべての時間を水くみと家事に費やしていました。私たちはそのような場所に井戸を掘り、彼らの家に水を引きました。しかし今度は、絶え間なく水が供給される井戸の近くに住んでいる人々が、見境なく水を使って無駄にしていることがわかりました。    アンマは、現在、すべての家庭に水を供給するために、首相によって立案されたさまざまなプロジェクトがあることを知っています。しかし、今度は、井戸の近くに住む村人たちが水を無闇に無駄使いしていました。大学はまた、水の使用状況を監視するアプリを作成することができました。ですから、無駄を簡単に検出して正すことができます。    村の収入を牛の牧畜と酪農に頼る村もいくつか存在します。彼らが生産した牛乳は、しばしば通常の半額で購入されていました。貧しい農民たちは、このわずかばかりの収入を得るために休むことなく働いています。家計をやりくりするには、とても十分とはいえません。私たちはその間に入り酪農協同組合を設立し、メンバーに牛乳の確実な市場を提供しました。その後、彼らは良い収入を得始めました。    いくつかの村の学校では、今日でも多くの学年レベルが、たとえば、4学年、5学年、6学年、7学年が、1つの教室で一緒に教えられていました。生徒たちは四方の別方向を向いて座っていましたが、先生は一人しかいませんでした。同じ教師が巡視してすべての学年を教えていました!    この子供たちが中学校を卒業して進学すると、英会話などの学業の困難に際して、適応できませんでした。そのような状況で子供たちは落ち込み、学校を中途退学するようになりました。これに対処するために、私たちの大学の教員はオンライン個別指導の提供を開始しました。子どもたちの学習に向上が見られるようになりました。    私たちが遭遇した限界の1つは、政府により携帯電話が支給されたにもかかわらず、これらの地域でインターネット接続が不安定なため、オンライン学習が不可能だったことです。そのような場所では、村の中でにインターネットが利用可能な場所を見つけて、子供たちが見たり学んだりするためのテレビスクリーンを提供しなければなりません。他の組織や大学も、この方法を採用し、子供たちにオンライン授業を提供することが可能でしょう。    新型コロナウイルスによるパンデミックの間、政府はすべての学校が生徒全員にオンライン教育を提供することを保証しました。しかし、村の多くの子供たちは、インターネットにアクセスできないため、このサービスを利用できませんでした。    33年以上前に、私たちは森林地域(ケーララ州アッタパディの部族村)に小さな家を建てました。そして教育を施しました。それは、その地域に私たちが孤児院をつくった時より以前のことです。私たちはこれらの各部族集落から子供たちを連れてきて、彼らに手厚い教育を施しました。今日、これらの子供たちの多くは大学教育を修了し、エンジニアになった人もいます。現在、その孤児院で私たちは400人の子供たちの面倒をみています。    今では、ほとんどの村に学校が設置されました。しかし、子供たちは何キロも歩かなければならないことがよくあります。特に山間部から、スクールバスが来る場所まではそうです。もし一家に児童が3人いれば、バス代として月平均3000ルピーを支払う必要があります。この出費のせいで、学校中退者が増えました。    電気については、政府が電力を供給していますが、地域によっては電圧が低いため、生徒はオンライン教育のために支給された機器を効果的に使用できません。変電所の設置には費用がかかるようでした。これに対処するため、私たちは太陽光パネルを設置し、オンライン設備を使用して学習するための途切れない電力を提供しました。他のいくつかの地域では、私たちは超小型の水力発電を開発しました。それは、利用可能な滝を再生可能エネルギー源として活用しており、発電された電力は村のために使用されました。    政府が制定した健康関連規定の1つは、妊娠中の女性にビタミンやその他のサプリメントを支給することです。しかし、これは胎児の健康を保証するためには十分ではありません。例えば、花が咲き始めたマンゴーの木に肥料を与えても、より良い実を結ぶことはないでしょう。果物は枯れて落ちたり、成長が妨げられたり、虫がはびこったりするかもしれません。    女性は幼い頃から免疫力を高める栄養のある食べ物を与えられるべきです。村の女性には、アーユルヴェーダの木を植えることを意識させ、それらの葉を使ったさまざまな料理を学ばせる必要があります。これにより、免疫システムが強化されるでしょう。65年前、私たちの村では、私の母は週に一度、村のアーユルヴェーダの薬効を持つ葉を使った料理を、私たちの食事によくつくったものです。    遠隔地で医師や教師を雇うのは難しいことです。33年前、私たちはカルペッタ (ケーララ州ワヤナード) に部族病院を設立しました。どうにかしてそこに、まるで天国から来た天使のような二人の医師を得ることができました。彼らは奉仕の精神への深い愛を持ってやって来ました。しかし病院に来ようとする患者は誰もいませんでした。    この医者たちは部族の集落に出かけて行かなければなりませんでした。食品やその他の品物が入った袋を持って、患者を戸別訪問して検査し、治療するサービスを施しました。このようにして、彼らは地域との良好な関係を築き、今では、毎日平均300人の患者が病院を訪れています。    私たちが村の住民集会を開いたとき、男性も女性も出席しました。しかし、その村の議会の議長は女性であったにもかかわらず、集会で話すのは男性だけでした。女性たちは沈黙していました。住民のイベントでは女性の意見が得られないことに気づいたので、私たちは女性との会合を別に始めました。驚いたことに、女性たちは生き生きと自分の意見を話し始めました。    新しい村に行ったときに最初に見定める必要があるのは、彼らが従っている文化的規範と慣行を理解することです。10年前に私たちは108を超える村を引き受けました。現在私たちは、500を超える村で活動しています。その社会の仕組みや考え方を理解するために、私たちは各村から最低2人を雇用しています。    もう1つの差し迫った懸念は、コロナ・パンデミック以降の子供たちの心の健康です。子供たちは以前の姿とはかなり違うように見えます。子供の4割は見た目が全然違うように見えます。彼らは態度だけでなく、心の健康状態も変化しました。    15年前、アンマはいくつかの国にいる医師の帰依者達に、町中の学校の子供たちにサポートサービスを提供するよう勧めました。この提案は、それらの子供たちにそれぞれ違いがあることを見た経験から来ています。いち早くそれを見つけて、タイムリーなカウンセリングを行えば、心理的な問題が深刻化することを防げますげます。    こういうことができるのではないでしょうか。奉仕するハートを持った心理学者と精神科医は、学校や大学と連絡をとり、週に2〜3時間の無料カウンセリングをそんな生徒達に提供することができます。    医者がいないような場所では、私たちは車による移動診療サービスを提供し、僻地では頻繁に野外医療所を実施することができるのではないかと思います。遠隔医療サービスにより、通信技術を利用して、患者の遠隔診断と治療を提供することも可能でしょう。    昔は傷口には牛糞を塗って治癒を早めたものですが、今日これを行うと傷口は感染してしまいます。かつて薬効があったものはすべて今は有毒です。昔、牛にはごま、落花生、ココナッツのスライス、そして農薬のない干し草を食べさせていました。その結果、牛からとれるミルク、尿、糞などそのすべてに薬効がありました。    私たちは農薬の使用量を5倍に増やしました。今はすべての牛の飼料に殺虫剤を散布しているので、かつて薬用だったものはすべて今では有毒です。これが、世界がいかに汚染されてしまったかです。人々の意識の向上を打ち立てることが重要です。糖尿病患者は薬を飲むだけでは十分ではありません。同時に規則正しい食事も維持しなくてはなりません。    ナレンドラ・モディ首相は、数多くの重要な計画を立ち上げました。しかし皮膚に吸いつくヒルのように、多くの村人は家にいることを好み、配給所に行くことも、受ける権利のあるどんな給付も利用しようとしません。彼らが受けている給付を適切に活用するという意識を高めることが大切です。    今、緊急に必要とされているのは、全体を見渡せる良いリーダーです。戦争の言語を話す人は不要ですが、平和のメッセージを広める人が必要です。今日、世界は分離と分割ではなく、団結と和を必要としています。    知性はハサミのようなもので、ハートは縫い針のようなものです。着る服を作るには、ハサミで切って分割し、縫い針でつなぎ合わせて縫う必要があります。知性は使うにふさわしい場所で使い、ハートもふさわしい場所で使わねばなりません。    ハートは落下傘のようなものです。それが開かなければ、私たちは危険にあいます。どうか私たち皆が、人々を結びつけ、すべての違いを消すことのできる広いハートを恵まれますように。    バーラタの国インドは、霊性の国です。古代の『リシ』たちの霊性苦行と犠牲から生じた振動が、今日でも大気に満ちています。リシたちは、「感覚のあるものも、感覚のないものも、すべての創造物の内に存在する意識、アートマはみな同じである、そして私はその『至高の真理』である」と覚りました。    これを覚り、彼らの祈りは  『サルヴェー バヴァントゥ スキナハ   サルヴェー サントゥ ニラーマヤ  サルヴェー バドラーニ パシャントゥ   マー カスチット ドゥッカバーグ バヴェート』    あらゆるものが幸せで、悲しみがありませんように。すべてのものがあらゆるものの内にある良いものだけを見ることができますように。    私たちは科学、技術、インターネットへの接続を急ぐ一方で、私たちが完全に接続切れとなった分野がたくさんあります。私たちは真の自己、『アートマ』との接続が切れてしまいました。    私たちは自分の環境や自然との接続が切れてしまいました。愛と生命との接続が切れてしまいました。そして、そのために私たちは神との接続が切れました。最も重要なことは、私たちは、自分の人生のあらゆる接続切れを修復することのできる、霊性の価値観との接続が切れてしまったことです。    生計を立てるための教育と、人生のための教育があります。古代の「グルクラ」では、これらは一緒に教えられました。就職を目指して大学で勉強するとき、それは生計を立てるための教育です。人生のための教育には、霊性の本質的な原則を理解することが必要です。前者は外界にエアコンをつけるのに対し、人生のための教育は心にエアコンをつけます。    そうしてこそ、私たちは世界に変化をもたらすことができるのです。人は鳥のように飛び、魚のように泳ぐことができるようになりました。しかし、人間のように歩いて、生きる方法を忘れてしまいました。創造主と被造物は2つの別物ではなく1つの同じものです。太陽は自分の通り道を照らすためにろうそくを必要としません。金の装飾品には金が内在しているように、同時に金には装飾品が内在しています。    他者の中に神を見て、そのように彼らを愛し奉仕してください。たとえ私たちが注意深く運転していても、他の人が不注意運転で衝突してくる可能性があります。これが、あらゆる状況で神の恩寵が必要な理由です。この恩寵を受けるためには、私たち側からの良い行いが必要になります。    私たちの宇宙には根底を流れる一つの脈動があります。宇宙とその中のすべての生物は、互いに切れることのないつながりを持っています。宇宙は相互接続された広大なネットワークのようなものです。4人が四隅を持って張った網を思い浮かべてみてください。1つの隅で軽く揺すられると、その振動は網全体へと伝わります。    同様に、私たちが知る知らぬにかかわらず、私たちのすべての行いは、個人でなされたものであれ集団でなされたものであれ、創造物全体に共鳴します。ですから、「彼らが変われば、私は変わる」とは考えないようにしましょう。むしろ、彼らが変わらなくても、自分が変われば、その変化を他の人にもたらすことができるのです。    古来より「世界はひとつの家族」はインドの大地のマントラでした。今もそうですし、これからもそうでしょう。G-20の議長国を務めることは、この真理の模範を世界に示すまたとない機会です。どうかシュリー・ナレンドラ・モディ首相と彼のリーダーシップのもとで政府によって始められたこの構想が、世界の視点に変化を触発しますように。    どうか無数のランプにこの火が明かりを灯し、それが世界中に運ばれますように。この偉大なヤグニャ(聖なる捧げ物)の法螺貝の音が世界中に響き渡りますように。それが閉ざされた人間の心の扉を開け放ちますように! それがあらゆる場所に光をもたらしますように! あなたが光となりますように!    自分の行為が望ましい結果を生むことを望むならば、次の3つの要素が必要です。1) 適切な時に行うこと 2) 自分の努力 3) 神の恩寵    私たちは遠方への旅を計画することがあります。それで、朝早く家を出ます。たとえ早めに出発しても、車が故障して空港に間に合わない場合があります。または、空港に到着すると、飛行機のエンジンに何らかの機械的な問題があったり、または天候が悪くて飛行できないと知るかもしれません。    自分のすべての行為を完結するためには神の恩寵が必要です。そして、良い行為が神の恩寵を引き寄せます。 最善を行い、神の恩寵を祈りましょう。  これらの考え方について私たちが無知であるということではなく、アンマはお話して下さいと依頼されたので、いくつかお話いたしました。  できうる最善を行い、神の恩寵を祈りましょう。